こんにちは、セラピストの喜島です。

先日、購入してまだ1年しか経っていないスマホを無くしてしまいました(T_T)

バイクでの移動中に落としてしまったようです。

スマホを使った後、そのままズボンのポケットの中に入れたのが良くなかったようです。

スマホがないことに気づいて、すぐに立ち寄ったお店や銀行、移動してきた道中を引き返し、2時間ほど必死に探し回ったのですが、残念ながら発見することができませんでした。

日中の日差しが強い中で、探し回ることにも疲れたので、もしかしたら拾った方が警察に届けてくれたかもしれないと、淡い期待を抱いて警察に行きました。

 

警察署に着くと受付窓口の側に紛失届の看板と書類があったので、それを記入して受付に提出しました。

すると、受付の方が 「あ、このメーカーのスマホなら、先ほど届けられていますよ」 とおっしゃるではありませんか!

それでも、わたし自身、スマホが届けられていることが想定外だったのか、「へ?」という感じで、一瞬受付の方が何を言っているのかわかりませんでした。

でもすぐに、良かった―!!さすがニッポン!素晴らしい!!届けてくれた方に感謝!!!きっと、わたしの日頃の行いが良かったからなのかもしれないなー!と心の中で喜んでいました。

しかし、喜んでいたのも、つかの間・・・。

受付の方が悲しそうな表情で 「でも、もう使えないと思いますよ。ボロボロで電源が入りませんから」 と申し訳なさそうにおっしゃるではありませんか(T_T)

日頃の行いなのかなぁ・・・。

 

シムフリーのスマホだったこともあってシム番号の確認に手間がかかり、スマホを受け取るまでに3日程かかりました。

受け取ったスマホは液晶画面は粉々にひび割れ、電源ボタンを押してもまったく反応せず、見るも無残な姿に変わり果てていました。

何度も何度も車に轢かれていたのだと思います。

完全に逝ってしまっていました。

 

この悲しい出来事を、その日の夜に妻に報告しました。

すると妻は、「このスマホはあなたを助けてくれたのね。もし、スマホが無くならずに予定通りに進んでいたら、その途中であなたが事故にあっていたかもしれないよね。きっとあなたの身代わりになってくれたのよ。」

と、ショックを受けているわたしを慰めてくれました。

スマホを無くしてから、あの時、なんでポケットの中に入れたのか・・・。

ちゃんとカバンの中に入れておけばよかった・・・。

まだ、一年しか使っていないのに・・・。

とクヨクヨと悔んでいたのですが、妻のこの言葉で気持ちがパッと楽になりました。

スマホはわたしの身代わりになってくれたのだと思うと、なんだか後悔よりも不思議と感謝の気持ちが生れていました。

 

このネガティブな出来事を、ポジティブな意味の出来事に置き換えるということは精神衛生上とても大事なことだと思います。

心理学ではこのことを 『すっぱいブドウの理論』 ともいいます。

『すっぱいブドウの理論』 とは、イソップ寓話の中にある 『きつねとブドウ』 という話からきている理論です。

知っている方もいるかもしれませんが 『きつねとブドウ』 の内容を簡単に説明するとこんな話です。

キツネが木に実っている美味しそうなブドウを見つけました。

そして、それを食べようとして跳び上がります。

しかし、ブドウは高い所に実っていて何度跳んでも届きません。

キツネは怒りと悔しさで 「どうせこのブドウは、すっぱくてまずいに決まっている」 といって立ち去って行くというお話です。

キツネが食べたくても食べられなかったという出来事を、自分の都合のいいように正当化したという内容です。

このようにストレスフルな出来事を自分の都合のいいように正当化して自分を守るという防御機能のことを、心理学では 『すっぱいブドウの理論』 といいます。

ストレスを受け流す良い方法の一つですね。

 

今回のスマホの件は、妻の言葉でとても楽になりました。

妻よ、ありがとう!

そして、意味もなく 『すっぱいブドウで、シムフリーを無くしてもストレスフリー!』 という標語のような言葉が浮かんできました。

もし、シムフリーのスマホを無くしたらこの言葉を思い出してくださいね。

まぁ、覚える価値はないと思いますが・・・。

 

拝啓

スマホ君、短い付き合いだったけど、いろんなことあったよね。楽しかったよ!

そして、自分のことを犠牲にしてまで、わたしを助けてくれてありがとう!

また、違う姿になって、わたしの元に帰ってきてね(T_T)ノシ