こんにちは、セラピストの喜島です。

先日、録画していたNHKの『自閉症の君との日々』というドキュメンタリー番組を視ました。

東田直樹(ひがしだ なおき)さんという自閉症の24歳の男性を3年間密着したドキュメンタリー番組でした。
彼は普段、自分の衝動を抑えることができず、人と会話をすることもできないという重度の自閉症者です。
番組の初登場の場面で、イベント会場での東田さんの様子を撮っていましたが、彼は壇上に登場した瞬間、走り出し、飛び跳ね、奇声を発していました。会場の人たちも慣れているような、呆気にとられているような、よくわからない雰囲気でした。

東田さんが落ち着きを取り戻して壇上に用意された椅子に座ると目の前の自作の文字盤に触れ始めました。
彼が他の重度の自閉症者と違うところは、この文字盤に書かれている文字をパソコンのキーボードを叩くように触れると、次々と言葉が出てきて自分の思いを伝えることができるという稀なスキルを持っていることでした。

文字盤に書かれているWとAの文字を押すように触れて「わ」と発音し、続いてT、A「た」・・S、H、I「し」・・H、A「は」・・「わたしはー」という感じで話していました。

彼はそのスキルを活かして人とコミュニケーションを取ることができるうようになったこと自体、凄いことだと思いますが、『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』というエッセイ本も執筆しているとのことでした。

その本には、自分の想いを伝えることがなかなか出来ない自閉症者の人たちの心の声がつづられていて、自閉症の自分の子どもが何を考えているか分からずに途方に暮れていた人たちが、初めて自分の子どもに備わった愛情や知性を信じられるようになり、自閉症の子どもを持つ多くの人たちに希望を与えていると紹介されていました。番組の冒頭にその本の一節を紹介していました。

何かしでかすたびに謝ることもできず
怒られたり笑われたりして
自分がいやになって絶望することも何度もあります
自分がつらいのは我慢できます。

しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには
僕たちは耐えられないのです。

 

わたしは、衝動を抑えることができずに誰からも理解できない行動をとってしまう自閉症者の彼の心の中にも、わたしたちと同じように感じる心と、それを表現することができることにびっくりしました。

この番組のディレクターは、密着取材中にがんを患っていることが発覚し抗がん剤や放射線治療を受けていたそうです。幸いがんは死滅したが、再発の危険は残っていて、彼自身突然背負ったハンディキャップをどう理解して受け止めたらいいのか知りたくて、東田さんに取材も兼ねて会いに行ったそうです。

そのディレクターは、自分を生んでくれた親や祖母よりも先に死んでしまって、命をつなげなくなることに悩んでいたことを相談していました。そして、その取材の翌日に東田さんから届いたという文章も紹介していました。

僕は命というものは大切だからこそ
つなぐものではなく完結するものだと考えている

命がつなぐものであるなら
つなげなくなった人はどうなるのだろう
バトンを握りしめて泣いているのか
途方にくれているのか
それを思うだけで僕は悲しい気持ちになる

人生を生き切る

残された人はその姿を見て
自分の人生を生き続ける

 

わたしは、この文章を見て、重度の自閉症者という大きなハンデを持っている方から、このような言葉が生まれてくるとは・・・と感動していました。ただ、それと同時に、人生を生き切る・・・『生き切る』ってどういうことだろう?って考えていました。
生き切る・・・なんとなく、強さみたいな、覚悟みたいなものをニュアンスとして感じるけど、でもそれだけではない気がするし。人生は長いとか短いとかではなく濃さなんだということを言いたいのかなって気もするし。

うーん・・生き切る・・・なんだかわかるようでわからない。

 

番組ではこの後、東田さんとアイルランド人の作家であり重度の自閉症の子を持つ父親との往復書簡での交流を紹介している場面に移っていきました。その父親が質問して、東田さんがそれに答えるという流れでした。その父親は東田さんの言葉を通して、自閉症の息子のことをもっと知ろうとしているようでした。

父親「直樹君、朝目覚めた時、夢を覚えているかい?自分が自閉症ではない人になった夢をみたことがあるかな」
東田「僕はよく自分が普通の子どもになった夢を見ていました。クラスのみんなとおしゃべりをしたりふざけあったりとても幸せそうに笑っているのです。しばらくして夢だったことがわかると僕はひどく落ち込みました。今、僕が見る夢に健常者の僕は登場しません。自閉症のままいろいろな所に遊びに行ったり相変わらず騒動を起こしたりしているのです。夢から覚めていつもと変わらない朝に感謝することから僕の一日は始まります。」

父親「13歳の自分にどんなアドバイスを送る?」
東田「僕が13歳の頃の自分に何かアドバイスできるのなら、それは励ましの言葉ではありません。つらすぎる毎日を送っている僕の耳には届かないと思います。僕は人生は短いという事実を伝えたいと思います。当時の僕にとって過ぎ行く時の経過は果てしなく、いつまでも降りられないブランコに乗っているみたいでした。君が乗っているブランコもいつかは止まる それまで一生懸命にこぎ続ければ同じ景色も違って見えると僕は教えてあげたいです。」

 

番組の中で、この父親と東田さんとの交流はもっとあったのですが、このやりとりだけでも、東田さんが葛藤しながらも自分の人生を受け入れて、そして一生懸命に生きていることが伝わってきました。そして、なんとなく引っかかっていた『生き切る』の答えというか意味みたいなものが、そこにあるような気がしました。

人は、それぞれ能力や才能に違いがあり、それぞれ違った環境で育ち、生きていけばいくほど、良くも悪くも様々な状況を迎える。それをどのように解釈し受け入れることができるのかを、おそらく試されているのだと思います。わたしは『生き切る』に、こんな意味を持たせることにしました。

『良いことも悪いことも、自分にとって意味のある解釈をする。そして、前を向いて歩き続ける』

なんだか、ありきたりだし、人生の決意みたいになってしまった感もあるけど、まぁこれで良しとしようと思います。

 

人はどんな困難を抱えていても、幸せをみつけて生きることができる力がある by 東田直樹